エレクトーンとの出会い
私とエレクトーン、という話はすごく長い話になります。
お時間のある時にお付き合いください。
私は1973年生まれです。
私が生まれたとき、おそらく母親の希望だったと思うのですが、
両親は月賦を組んで私にエレクトーンを買おうとしてくれました。
(月賦:商品の代金を分割払いし、支払いが完了した時に品物が届く仕組み)
母は私が1歳を迎えてすぐ、事故で亡くなりました。
その後も父親は月賦を支払い続けてくれたのでしょう。
小学校1年生のある日、離れて暮らしていた父親から
「えりこ。明日オルガンが届くから、楽しみにしておいで」
と、電話がかかってきました。
保育園でオルガンを弾くことがあったので、すごく楽しみにしていました。
そして届いたオルガンを見て大感激!!
鍵盤が2段!足鍵盤もついている! え~なに?これ!!
すごく喜んで父親に電話したと思います。父親も喜んでくれたと思います。
でも弾き方がよくわからない。。。
小学校2年生になって、一緒に暮らしていた祖母が近所のエレクトーン教室を探してきてくれて(正確にはエレクトーンではなくてビクターのビクトロンの教室でした)
習うことになりました。
習い始めて気づいたこと。
あれ、私のもっているエレクトーンと、教室のエレクトーン(ビクトロン)、
全然違う。リズムが鳴るし、トレモロついてるし、教室のやつのほうがいいなあ。。。
後にして思えば、月賦で買ったので、6年くらい時代の古い機種が届いたということだったのでしょうね(おそらくBシリーズ)。
最初はあまりうまく弾けなかったけれど、小学校4年生のときに、発表会で出会った1つ年下の女の子が弾く「Yesterday」がすごく気に入って、感化されて一生懸命練習するようになり、それから上達し、楽しくなってきました。
小学校5年生になって、父親が再婚し、同居することになりました。
その時、思い切って父親へ「新しいエレクトーンがほしい」と伝えました。
ちょっと父親にとっては大変だったと思うのですが、中古エレクトーンを買ってくれました(おそらくDシリーズ)
引越し先で、ピアノ教室の片手間で教えている先生がいらして、習うことに。
2~3年そこで習ったと思うのですが、あまりそのころの記憶はないです。
中学校に入って1年生か2年生か忘れたのですが、
継母がヤマハエレクトーン教室を探してきてくれました。
この経緯もまったく覚えていないのですが、そこでまた目からウロコ。
当時の機種はFSシリーズ。レバーからボタンへ変わり、音色も今までのエレクトーンとまったく違うものでした。
うわ~何これ!
しかも、私はそれまで既に6~7年習い続けていてそこそこ自信もあったはずだったのに、指の構え方、弾き方、表現、マインド諸々、基本的なところが全然できていなかったらしく、一からやり直し!くらいの勢いでした。
このときの先生のおかげで、だいぶ私の演奏は垢ぬけたはずではあるのですが、
今どきのエレクトーンを持っていないことの後ろめたさ、
先生が私につけた「めがねさん」というあだ名が嫌で、
モチベーションもあまりあがらなかった。。。
9級から始めて、7級までとりました。
中学校3年生になり、受験もしないといけないので、やめることにしました。
やめる少し前に、エレクトーンフェスティバルに行ったのですが、
そこできいたアンサンブル「TAKARAJIMA」がえらく気に入りました。
そしてその頃に出始めた新シリーズ(HS)の自動伴奏のセンスの良さに、後ろ髪をひかれつつもエレクトーンとお別れしたのでした。
それから30年。エレクトーンのことを頭の片隅で思いながら
音楽には興味を持ち続け、学生時代からバンドにキーボードで参加するようになりました。
2016年にとあるライブで演奏した時に、対バンの方から
「エレクトーンやってました?」と言われました。
足がエアーでベース弾いてましたよ、と。
無意識でしたが、そうだったのかも。
社会人にもなったし、自由になるお金もあるし、
またやってみるか。エレクトーン。
ちょっと1年くらい悩んで、2017年11月。ついにエレクトーン教室へ。そしてSTAGIA-ELS02を購入。
ずいぶん遠回りしましたが、30年ぶりにエレクトーンと再会。
まずはグレード5級を目指して頑張ります。
月賦の話を知ったのは、父親が亡くなった31歳の時。
父親の書類を整理していて月賦の申込書を見つけたとき、泣き崩れました。
母親がピアノを習っていたこともその時初めて知った。
親の心子知らず。
大変な思いをして用意してくれたエレクトーン。
何て失礼なことをしていたんだろう。
あらためて両親に感謝です。
YAMAHAのことを教えてくれた継母にも感謝。
残りの人生はエレクトーンと一緒に歩んでいきます。
長いストーリー、お付き合いいただきましてありがとうございました。